東北大学総合学術博物館は、東日本大震災で被災した建物などを3Dデータでアーカイブする取り組みを2013年から続けています。復興工事が進むと同時に地震発生当時の遺構が少しずつ消えていく現場を3Dスキャナで計測し、InfiPointsを活用してデジタルデータとして記録することで、専門家による地震研究や子どもたちへの防災教育に役立てています。
計測データはヘッドマウントディスプレイMREALで見られるデータ形式にも出力され、全国各地の防災関連イベントで、来場者が現場を疑似体験できる展示物として活用されています。
2011年3月11日に起きた東日本大震災によって、東北地方を中心に大きな被害がもたらされました。被災地域の学術機関や博物館も例外ではなく、重要な標本や資料も大きな被害を受けました。
創立以来、東北地方のみならず日本の古生物学会をけん引する役割を担っていた東北大学総合学術博物館は、震災前から、最新のCTスキャナを駆使して標本を3Dデータとして保存するプロジェクトを進めていました。
震災後は、被災地に位置する博物館の使命として被災地域の標本レスキュー活動を行い、標本の回収・保全作業を実施しました。
ある時、まだ瓦礫が多く残る中で標本のレスキュー活動を行っていた同博物館の職員がふと周囲を見渡すと、復興への取り組みの本格化とともに景色が急速に変化していることに気づきました。
「標本や資料を残すように、我々が経験した災害の状況を後世に伝えていく必要があるのではないか。風景が変われば人の記憶も風化してしまう。この経験を伝えていくために、なるべく伝わりやすいかたちで記録として残していく必要があるのではないか」
こうした思いから、東北大学総合学術博物館が中心となって、東日本大震災の被災地や震災遺構の3Dデータを将来に残すためのプロジェクトが発足しました。
プロジェクトの推進役となったのは、微小な生物の化石の研究を専門とする東北大学総合学術博物館の鹿納晴尚博士でした。
当初、測量会社に発注し宮城県と岩手県の被災地域で3Dデータの取得を行いましたが、自治体から即応性が求められたり、予算が限られたりと、さまざまな制約が発生しました。
そこでアーカイブ作成作業開始から2年目以降は、同大学の別の研究所にあったFARO社製3Dスキャナを借り受け、鹿納博士自身が福島の被災現場を訪れて計測作業を進めました。場所によっては数日がかりで数百カ所での計測を行うこともありました。
据え置き型のレーザースキャナに加え、車載型の3D計測システム(MMS)やドローンによる写真計測で得られた点群データの合成・ノイズ除去にもInfiPointsを利用し、鹿納博士自らも次々と被災地の3Dデータ化を進めていきました。
「活用できるデータにするためには測定データの処理は必ず必要です。レーザースキャナでの測定作業は私一人でも対応できますが、測定データを活用するための処理に必要となる莫大なコスト負担に頭を悩ませていました。
予算も人員も限られた中で迅速に対応するためには、効率的に点群処理ができるInfiPointsのようなソフトウェアの存在は救世主そのものです。InfiPointsのデータ処理のスピードには本当に助けられました」(鹿納博士)
(被災現場の映像が流れます)鹿納博士が計測した請戸漁協建屋(福島県浪江町)の点群データ
東北大学総合学術博物館が主導して計測した被災現場は2017年春の時点で40カ所以上に上ります。記録を残すという目的では大きな成果を出したプロジェクトですが、計測した膨大なデータを今後どのように活用するのかが次の課題となりました。
「震災の爪痕をデータとして記録するだけでなく、何かもっと人の役に立てることに活用できないかと考えました。これからの地震研究や防災教育に生かすためには、私たちが経験した震災を研究者や一般の方に体験として伝える方法を確立することが必要だと思いました」(鹿納博士)
そこで鹿納博士らは博物館での3D標本データ展示用に導入されていたヘッドマウントディスプレイMREALの活用を思い立ちます。しかしレーザースキャナ由来の点群データは数十ギガから数百ギガという大容量のデータとなるため、そのままでは活用することができませんでした。
「エリジオンがMREALに対応するための開発を引き受けてくれたことで、私たちが目指していた『体験として伝える』という活動が現実のものとなりました。InfiPointsを使用することでデータ処理のコストと時間が削減できただけでなく、ヘッドマウントディスプレイで測定データを活用することができるようになりました」(鹿納博士)
計測データをMREALに映し出し、被災現場をリアルに体感できる展示は、その後さまざまなイベントで多くの人の目に触れるようになりました。
ある日東北地方のイベント会場に出展していた鹿納博士は、想定もしていなかった体験者の反応を目にします。
それは3D計測後に復興のため取り壊された福島県富岡町の「子安観音堂」を一人の富岡町出身の年配女性がMREALで見ていた時のこと、目の前に3Dデータの観音様が表れた瞬間、その女性は自然と胸の前で手を合わせたのでした。
この光景を目の当たりにした鹿納博士は胸に詰まるものがあったと言います。
「私たちは学術研究や教育目的で被災地のアーカイブを行っていました。現場を3Dデータ化しリアルに再現することで、被災された方の大切な思い出を蘇らせられる、そして気持ちに働きかけられるのだとその時初めて気づきました。3Dデータは単に将来に記録を残すための媒体ではなく、今を生きる人たちの気持ちの支えになりうるのだと思いました。さらには地域住民同士が思い出を共有し合ったり、失われたコミュニティを再び取り戻すためのシンボルにもなったりすると確信しました」(鹿納博士)
他にも、原発事故の影響で立ち入りが制限された地域の建物をMREALで体験展示していた際には、偶然その建物で生まれ育った女性が「もうこの先、生きている間に帰ることはできないと思っていた」と涙を流しながら喜ぶ場面もありました。
鹿納博士らの活動は徐々に東北各地の自治体関係者の中でも広く知られるようになり、東北大学だけでなく、各自治体でも同様の体験ができるようになっています。
さらに東北大学には、復興副大臣や復興庁担当者も視察に訪れるなどしています。
2017年2月には福島県双葉町の帰還困難区域にある装飾古墳「清戸迫横穴(きよとさくおうけつ)」(7世紀)の壁画を3Dスキャナで3Dデータ化する取り組みも行われました。
国の認定を受けている史跡であっても、福島第一原発事故以降は帰還困難区域に位置するため一般に立ち入りができない状態に置かれています。
東北大学総合学術博物館をはじめとするチームは壁面が劣化する恐れがある遺跡の内部の他、入り口までの道のりを含んだ周辺一帯を計測しました。
貴重な文化遺産を後世に残していくために最新の技術を生かし、今できる限りの活動が続けられています。
震災から6年となる2017年3月までに計画していた箇所での計測が完了し、プロジェクトは4月から新たなフェーズに移行しました。
「今期からは、計測したデータの整理と活用をさらに加速させます」(鹿納博士)
例えば、点群データをもとにInfiPoints上で津波の高さを計測したり、流された物体の移動距離を測ることで津波の力を推測したりするなどの研究が期待されています。
「学術的な取り組みの他にも、世界各国の学生たちがリアルに震災を感じられることも重要だと感じています。時間の経過とともに被災者の記憶も薄れますし、当時の様子を知らない世代も増えていきます。InfiPointsやヘッドマウントディスプレイを通じて3Dデータを活用することで、震災の教訓を風化させず語り継ぐ活動ができるのではないかと考えています」(鹿納博士)
さらに鹿納博士は被災地域の住民の方々への情報提供にも積極的に取り組んでいくと言います。
「住民の方々にとって震災遺構を見ることは辛いことかもしれません。しかし一方で、もう見られない光景をリアルに感じられる方法があることで、過去を見つめ、そこから将来に向けた希望を探し出せるということもあるのではないでしょうか」(鹿納博士)