福島県の中央部に位置する富岡町は、2011年3月の東日本大震災では震度6強の地震と津波によって大きな被害を受けました。さらにその翌日には福島第一原子力発電所の事故で避難指示が出され、1万人以上の方々が住み慣れた町を離れました。避難指示が解除されたのは6年が経過した2017年4月のことでした。
2017年初夏、津波で全壊した旧富岡駅西側に位置する丘の中腹で、あるお堂の3D計測が行われました。(協力:ライカジオシステムズ社)
「この建物自体は昭和初期に改修されたものですが、お堂の起源としては江戸時代にまでさかのぼります。この地域社会にとって重要な役割を果たしてきたと思います」(富岡町歴史・文化等保存プロジェクトチーム 三瓶秀文氏)
一見すると目立った被害は見えない建物ですが、震災の日、富岡駅や周辺の家屋も飲み込みながら押し寄せた津波はこの建物の床下まで到達し、その後も立ち入り制限区域に指定されたことによりメンテナンスができなくなったため、急速に老朽化が進んでいました。
「富岡町は一部の地域を除いて2017年4月に避難指示が解除されました。それでも1万人以上いる町民のうち、戻っているのは200人程度です。多くの方々は6年の間に町外で新しい生活基盤を整えていますので、すぐには帰ることができない状況だと思います。そうした状況の中でこの薬師堂を修繕・維持するのは難しいという判断をされて、先日、国に解体除染申請が出されました」(三瓶氏)
避難指示が長引くことによって建物の荒廃が進み、解体除染を申請する方が増えていると言います。
「解体される建物の中には歴史的に重要なものがありますし、何より町の人たちの思い出や文化の象徴だったものも多くありますが、維持していくことが困難であるのも現実です。そこで私たちは、すでに文化財のデジタルアーカイブ化の取り組みをされていた鹿納先生をはじめとした東北大学の皆さんや、そのほか多くの方々に協力いただきながら町の文化を3Dデータとして残す取り組みを始めました」(三瓶氏)
富岡町はデータとして残すことだけでなく、計測した点群データを活用する取り組みとしてバーチャルリアリティ(VR)を体験できるコーナーを町の施設に常設しています。
「町の方が施設に立ち寄られた際には、解体されてしまった建物や整備される前の街並みなどをヘッドマウントディスプレイで見ていただいています。皆さん『わあー』と声を上げて、心から懐かしがっていただけるのがうれしいですね。次の世代に伝えたいと考えて始めた活動ですが、解体されてしまった街並みをVRで体験して、涙を浮かべて喜んでくれるおばあちゃんもいますので、この活動の意義を感じます」(三瓶氏)
富岡町文化交流センターでの常設コーナーの他にも、避難中の子どもたちを集めた郡山市でのイベントなどでVR展示が行われ、延べ400人以上の町民がふるさとの風景をVRで体験しました。また被災体験を後世に語り継ぐ有志の活動「語り部の会」でもVRが利用され、他県からの参加者にも、リアルな遺構の姿を通して震災の怖さと予備知識の重要さが伝えられています。
富岡町は、町内の重要な風景や建物を記録するため今後も継続的に3D計測を行っていく予定です。
「お金では買えないものがなくなっていくという危機感が私たちにはあります。町の人々が慣れ親しんできた建物や風景を通して地域とのつながりを感じていただくためにもデータを後世に残していきたい。今もまだたくさんの町民が全国に避難しています。その方々が、いつでもふるさとに戻れるようにできるだけ多くの建物や風景を計測していきたいと考えています」(三瓶氏)